Nov 27, 2009

海外旅行保険はどれがよいか。

海外旅行時に悩んだのが海外旅行保険加入の有無と言うものだった。会社も多く、価格も内容も違う。比較にも時間はあまりないしで迷ってしまった。幸いだと言っていいのか、手持ちの旅行本のいくつかの海外旅行保険を扱う会社が掲載されていたので、そこから比較して利用することにした。たくさんあれば選択するだけで一苦労だ。
親戚が会員制リゾートホテルに勤務しているので、私も会員制リゾートホテルに何回か宿泊したことがあります。先に行ってみる驚くべきことは、従業員の質の高さです。駐車場のご案内からチェックインまで、どの従業員も丁寧な対応をしたため、非常に好感を持つことができた。次の部屋の大きさに驚きました。会員権の価格に応じて使用する部屋のサイズに差がその中でも評価が低いタイプに宿泊しましたが広くて快適な部屋でした。食事も良く、会員権をまともな価値があると感じました。
 大型の台風12号は3日午前、高知県に上陸してゆっくりとした速度で北上した。和歌山県紀南地方は強い雨に見舞われ、田辺市本宮町や白浜町で道路冠水による通行止めが相次いだ。本宮町や白浜町などでは942世帯1980人に避難指示、勧告が出た。新宮市熊野川町篠尾では、水道管に積もったがれきを撤去していた近くの中村義明さん(62)が川に転落し行方不明になった。

 和歌山地方気象台によると、4日正午までの県南部の24時間予想雨量は600ミリ。すでに本宮(田辺市)では降り始めから3日午前11時までの積算雨量が821ミリに達しており、注意を呼び掛けている。

 3日正午までに避難指示が出たのは田辺市本宮町の川湯地区で31世帯61人。勧告は本宮地区282世帯591人、請川地区90世帯214人、伏拝萩地区78世帯147人、白浜町の田野井、安居など11地区で448世帯940人、新宮市熊野川町日足地区などで13世帯27人に出た。

 県などによると田辺市本宮町で床上浸水13戸、床下浸水12戸、同市新庄町で床下浸水10戸があったほか、新宮市熊野川町日足でも5戸以上の床上浸水があるという。

 3日正午現在、通行止めになったのは、国道で冠水により新宮市五新から田辺市本宮町大津荷までの168号(延長約27・7キロ)と田辺市本宮町本宮の168号(約800メートル)、越波ですさみ町江住の42号(約300メートル)と串本町姫から同町伊串までの42号(約1・5キロ)。

 また、積算雨量が規制値の250ミリに達したため、白浜町日置から同町富田までの42号(延長約11・5キロ)、熊野川の増水で熊野大橋(約400メートル)も通行止めになった。

 県道では田辺市本宮町川湯の静川請川線(延長約1キロ)、白浜町臨海の白浜温泉線(約500メートル)、くしもと大橋(約1・5キロ)、上富田町岩崎から白浜町堅田までの田辺白浜線(約1・9キロ)、白浜町栄の栄岩崎線(約1・1キロ)、白浜町玉伝から同町久木までの日置川大塔線(約6・3キロ)などが通行止めになった。

 高速道路は雨のため、南紀田辺インターチェンジ(IC)から有田ICまで上下線とも通行止め。

 JR西日本和歌山支社は3日に運行予定だった特急32本をすべて運休にした。和歌山―新宮間の普通列車も始発から運休し、運転再開のめどは立っていない。

 南紀白浜空港を発着する日本航空(JAL)の東京―南紀白浜の定期便は全便欠航した。

 関西電力によると午前10時現在、田辺市や白浜町、新宮市などで約2200軒が停電した。

●3日夜には岡山県へ

 3日午前10時現在、台風12号の中心気圧は982ヘクトパスカル。中心付近の最大風速は30メートル、最大瞬間風速40メートル。中心から東側220キロ、西側170キロの範囲で風速25メートル以上の暴風が吹いている。風速15メートル以上の強風域は東側650キロ、西側560キロ。夜には岡山県に達するとみられている。

 3日午前11時までの本宮以外の積算雨量は、西川(古座川町)510ミリ▽色川(那智勝浦町)498ミリ▽栗栖川(田辺市)491ミリ▽龍神(同)477ミリなど。本宮では2日午後11時半までの1時間に52ミリを記録した。

 最大瞬間風速は南紀白浜で35メートル、潮岬(串本町)で32・1メートルが観測された。

 かつて鋳物の一大産地だった小田原で、今や市内唯一となった工場を若き男性が支えている。柏木美術鋳物研究所(小田原市中町)社長の柏木照之さん(33)。伝統ある「小田原鋳物」の継承者として、「さらに技術を磨いていい作品を作り続けたい」と、日々炉と向き合っている。

 柏木さんは由緒ある鋳物師家系の血を引いている。先祖は九州・唐津に拠点を置いたが、1686年に小田原へ移り住んだ。当時は鋳物産業の最盛期で、ずらりと軒を並べた工場から出る炎が、夜空を赤く染めたとの言い伝えが残る。柏木家も、風鈴や鍋を生産して生計を立てていた。

 しかし、明治期以降は工業化の波に押され鋳物業は衰退。工場が次々と姿を消す中、柏木家は2度の分家を経て1952年に株式会社を設立し、小田原鋳物の歴史を受け継いできた。

 柏木さんは27歳で3代目社長に就任した。「腰を患った先代から『おまえが継がなきゃ(工場を)つぶす』といわれ、二つ返事で継ぐと」。とはいえ「技術的には素人に毛が生えた程度だった」。納品が遅れて取引先に迷惑を掛けてしまい、責任感に突き動かされて土日も作業場にこもった。

 製品は代々、風鈴などの鳴り物が中心。高温の炉で溶かした金属は「ちょっとしたことで表情を変える」ため、わずかな違いが音色に直結する。「今はその感覚をつかみ何とか製品にしているが、先代の技術にはまだまだ遠い」と自分を戒める。

 12月で社長就任から6年。最近、代々受け継がれてきた手法に自分なりの色を加えているが、「結果的に昔ながらのやり方に戻ることが多い。よくできているんですよ」と感心しきり。戦国時代から続く小田原鋳物の足跡を今、あらためてかみしめている。

 工場併設のギャラリーで作品を展示・販売している。問い合わせは、柏木美術鋳物研究所電話0465(22)4328。

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