Jul 19, 2009
海外旅行保険と、けがや病気について
海外旅行保険の必要性を再度模索してみましょう。保険への信頼をもう一度考えてみましょう。冗長度の重要性が高いだろうと私は思っています。怪我や病気を起こさないよう対策を適切に行うようにしましょう。海外旅行保険の詳細をきちんと確認しましょう。ぜひ注目して欲しいです。親戚が会員制リゾートホテルに勤務しているので、私も会員制リゾートホテルに何回か宿泊したことがあります。先に行ってみる驚くべきことは、従業員の質の高さです。駐車場のご案内からチェックインまで、どの従業員も丁寧な対応をしたため、非常に好感を持つことができた。次の部屋の大きさに驚きました。会員権の価格に応じて使用する部屋のサイズに差がその中でも評価が低いタイプに宿泊しましたが広くて快適な部屋でした。食事も良く、会員権をまともな価値があると感じました。
【復興日本】倒れた墓石の泥を取り除いて磨き上げると、穴を開けて耐震用の金属製ボルトを差し込む。それを小型のクレーン車で持ち上げて接着剤で据え付ける。1つの墓を直すのに1日以上かかることもある。宮城県南三陸町に住む鈴木隆志さん(43)は、東日本大震災で壊れた墓を修理する日が続いている。
鈴木さん一家は石材店を営んでいた。父が社長で、鈴木さんは墓石づくり。他家に婿入りした弟は墓地整備の担当で、これに叔父を加えた4人でやっていた。
巨大津波は、父も、母も、弟も、そして祖母もさらっていった。父と祖母の遺体はまだ見つかっていない。
生き残った鈴木さんと叔父が中心になり、いとこにも手伝ってもらって店を続けているが、墓を直す依頼が引きも切らない。簡単な修理を断っても、予約は9月のお彼岸まで埋まっている。「弟が生きていれば仕事もはかどって、注文も断らずに済んだんだろうけどなあ」。そう話す鈴木さんの顔は、すっかり日焼けしていた。
震災で壊れたのは、同町内にある鈴木家の墓も例外ではない。基礎からずれ、墓石は完全に倒れている。土中部分はむき出しになり、壊れた骨つぼからはお骨があらわになった。全体をビニールシートで覆うことで、かろうじて墓の尊厳を保っている。
弟の遺骨は婿入り先が引き取ったものの、母の遺骨をとても納められる状態ではなく、石材店の事務所に置いたままだ。
妻の和子さん(42)は「お墓に納骨もできないまま、どう新盆を迎えたらいいんでしょうか。お骨にお供え物をしていいものなんでしょうか」と悩んでいる。
しかし、自分の家の墓に手をつけている時間はない。「来年の3月11日に間に合わすのが精いっぱい。おやじは仕事に厳しかったから『自分のを直してないで他の石を直せ!』って言うと思う」と鈴木さんは話す。「墓石がないまま、家族でお参りでもします」。それしか、弔う方法はないのである。
震災から5カ月が過ぎた。日本列島はお盆に入り、祖先の霊を祭り、亡き人に思いをはせる季節を迎えた。震災の犠牲者にとって今年は新盆にあたるが、被災地では地震や津波によって多くの墓や寺が失われ、供養する場所さえ事欠いている。行方がわからない身内を持つ家では、どうお盆を迎えるべきかを悩んでいる。
鎮魂の8月は、残された人々が改めて悲しみと向き合うと同時に、去ってしまった人たちに何ができ、何をすべきかを自問自答するときでもある。
■残された人も「心を前に」
宮城県山元町の普門寺は倒壊して流された家屋の残骸に埋め尽くされた。納骨はまだできないが、200基の墓をすべて応急で直し、お盆に間に合わせた。
住職の坂野文俊(ぶんしゅん)さん(48)は「被災した自宅を見て肩を落として帰る住民の後ろ姿を何度も見て、せめてお墓だけでも、と思った」と振り返る。
堤防が破壊され、小規模な津波でも危険な状態になる恐れがあるとして、立ち入りが制限される避難指示区域内にあるため、ボランティアなどに手伝ってもらうことはできない。被災直後は1人で、4月からは有志と2人での作業だ。
1日かけても片付くのは1区画分ぐらい。休憩のたびに、もう無理かもしれない、という気持ちになる自分に「いつかは終わる」と言い聞かせ続けた。
6月に入って僧侶のボランティアの協力を得て、やっとお盆に間に合うめどが立った。集めた砂や土には、お骨が含まれているため、まとめて塚にした。体重は10キロ減っていた。
ただ、納骨はまだできない。父親が住職を務める近くの鳳仙寺には、普門寺の分も含め、仮安置されたお骨で10畳間がいっぱいになっている。「お骨もお参りできるようにしたい」。坂野さんは、仮設の寺の建設も進めている。
山元町で野菜卸売業を営む男性(62)は、妻と嫁、2歳と生後7カ月という2人の孫を津波で流された。下の孫はまだ見つかっていない。それでも4人の葬儀を9月に行うことを決めた。
彼には妻との間には子供はなく、おいを養子にした経緯があった。だから、その養子夫婦に孫が生まれたときのうれしさはひとしおだった。「じいちゃーん、抱っこ」。跳びはねるように近づいてくる姿に、わが家の中で初めて幼い子供の声が響くことの喜びを実感する日々だった。そんな幸福な日常を津波は奪ってしまった。事情を知る人に道ですれ違うと、目をそらされるのがつらい。「最近まで波の音が聞こえるたびに泣いていた」と言う。
自衛隊と警察に心当たりの場所を捜索してもらっても、遺体は見つからなかったことで自分自身にけじめを付けた。「残った人には供養する義務がある。たとえ遺体がなくても」
「亡くなったことを認めることになってしまう」としぶる周囲に彼は「踏ん切り付けて前に進まないとだめだ」と押し切った。
現在仮設住宅に住んでいる彼は、いつでもお参りできるよう、津波に洗われた自宅の敷地に仮の墓地を作ることを考えている。
南三陸町の大雄(だいおう)寺住職、小島孝尋(こうじん)さん(51)によると、6月までは遺体が見つかって葬儀を予約する家族が大半だったが、7月に入ってからは、ほとんど行方不明の方の家族の葬儀になった、という。
遺体がないままの葬儀では写真を拝み、最後は遺体の代わりに釈迦の弟子の証しとされる「お血脈(けちみゃく)」を渡す。そのとき、小島さんは必ず、「見つかったら、改めて供養しましょう」と言い添えることにしている。葬儀を終えた遺族からは、例外なく「形だけでもお別れができてよかった」「区切りがついてほっとした」といった感謝の言葉をかけられた、という。
小島さんは、毎日3、4件の葬儀をこなしている。熱中症で倒れた翌日、いつものように葬儀でお経を上げていたこともあった。
「残された人も区切りをつけたがっている。墓がなくても、遺体がなくても、儀式を経て前に心を進めるのが大事なんです」。小島さんは、そう信じている。(荒船清太)
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